こんな仕事あったんや!その2
ナレーターのふうです^^
関西の番組を中心にナレーションを生業としてます。
M1グランプリは、毎年やらせてもらってます^^
「こんな仕事あったんや!」の第2回目です・・・・・・。
東京で演劇やショボイなりにもお笑いの経験をして帰阪しまして、
いよいよ現在の仕事世界に入っていくわけです。
ま、この辺りは色々ありましたわ^^;おいおいお話していきましょう^^
29歳になる年でしたから、1988年の5月頃だったと思います。
(あ、私、結構記憶曖昧です^^;)
5月頃に、大学の2年後輩で大阪朝日放送のスポーツ担当アナウンサーを
やってる奴がおりまして、彼に「どっかないかなあ」と紹介してもらったのが、
あるプロダクションでした。いわゆるタレント斡旋事務所です。
ちょっとしたCMコピーや、やや長めの文章を読みカセットに録音。
それを持って、その事務所を訪ねました。
自身も現役で司会やナレーションの仕事をしていた社長と面接。
しばらく話をして、「じゃあ、所属してもらいましょか」てな感じで、一応契約。
その時一度限りの「契約書」にサインしました。
結果的に2年少し所属していたのですが、契約書にサインしたのは、
その時だけ。2年目の更新もなにもなかったから、あれはハッタリ?
雰囲気ものやったのかなあ^^;まあ、ええけど。
その社長というのが、会社員の時、日曜日の出勤で競輪場に向かう車の中で
よく聴いていたラジオ番組のパーソナリティでした。
「日曜思い出メロディ」という、恋愛等の思い出話を手紙でリスナーからもらい朗読。
その時の思い出に残る歌をかける、というベタな^^;番組だったのですが。
結構ファンやってんなあ^^;その番組の。いい語り口だったもので。パーソナリティが。
で、それを担当していた人物と面接・・・そしてそれは、カルクショック!><^^;
まあ、ええけど。
でも、ある意味ご縁というのか、そういうふうには思いました。
幾つかの人生の場面で出会う人達とのご縁。
劇的なものではなくても、それだけに、ともすると見落としていまいがちにもなりますが、
きっとそこかしにあるのが「ご縁」ではないかと、今更ながらそう思います。
さて。ようやく「入り口」にたどり着きました。続きはまた。