日本人はプロセス
打越っさんとの電話トークで。
「英語は結論から先言うな」
「日本語はちゃうなぁ」
確かに、日本語は話しながら相手の様子見つつ、
結論の表現を微妙に変えたり、あえて結論は言わず、
まずはニュアンスを感じてもらいながら、答えを見つけていく、
そういうことなんやなあ、という話になりまして。
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打越っさんとの電話トークで。
「英語は結論から先言うな」
「日本語はちゃうなぁ」
確かに、日本語は話しながら相手の様子見つつ、
結論の表現を微妙に変えたり、あえて結論は言わず、
まずはニュアンスを感じてもらいながら、答えを見つけていく、
そういうことなんやなあ、という話になりまして。
久々にお越しになられました。
インターフォンが鳴り、出ると男性の顔が・・・。
「NHKですが・・・」と言われ、一瞬、「結構です」と
断ろうと思いましたが、思い直しました。
「伝えたいことがありますので、すいませんが、
拙宅までお越しいただけますか?」
「永遠」というと「未来」というふうにイメージしてしまうのではないか。
『ある状態が果てしなく続くこと』『時間を超越して変わらないこと』
『普遍的真理』『時間を超越して存在するもの』などの意味が
辞書には載っているが、日常的に使うとしたら、やはり「未来は永遠」
ということになるかと思う。「過去は永遠」なんて聞いたことります?
こういうフレーズ。
どうも未来に悲観的で、というか、何かにつけ日本人は悲観論が好きだ、
一国の首相が批判に晒されるのは当然だとしても、いつの頃からか、
粗探しになってしまっているとしか思えない。
評論家が前向きな話をする時は、まるで大衆を誘導するかのような、
どうも無責任な対処法を語り、それは自分の本が売れるためのものか、
などと穿ってしまう。穿ちたくないんやけどなあ、ほんまは。
「雪不足で首都圏大渇水?」という特集で、
古舘伊知郎は、人工降雪研究に対して批判的なことを述べた。
「自然を支配してきた側としてどうなのか?」というような、
どうも環境破壊を懸念している思いを述べたかったようですが。
批判はいいとしても、降雪実験を行った人の立つ瀬ないよなぁ。
テレビの取材を、おそらく快諾してくれて、首都圏の水不足問題を
解決するために行っているやろうに。
「テレビ屋」として選択した発言だったのだろうと思うけれど。
みのもんたもそうだろうと僕は考えてますが、人気キャスターは・・・
「貧富の差」ではいかんのか。
「格差社会」って言い方は、何かを隠していそうな臭いがするが。
「貧富の差」と言えば、「それを言っちゃあおしまいよ」なんやろか。
「貧乏である」と認めることは現代人のプライドが許さないのか。
たぶん許さないんやろな。
先日亡くなられた、渡辺和博さんは「マル金・マルビ」で1988年の
流行語大賞を受賞したけれど、バブルなあの頃はまだ「貧乏」は
まだ元気だった、余裕があったのかも。