論語 顔淵篇
哀公が有若に尋ねて言われた。
『今年は不作で財政が不足しているが、どうしたら良いだろうか。』。
有若がお答えした。
『どうして収穫の10分の1を税にしないのでしょうか。』。
哀公が言われた。
『10分の2の税金でも不足しているのに、どうして10分の1の税にするのだろうか。』
有若は申し上げた。
『人民の生活が満足していれば、主君は誰と一緒に不足していると言うのでしょうか。
また、人民の生活が不足していれば、主君は誰と一緒に満足したと言えるのでしょうか。』
[解説]
哀公が農業の不作によって財源不足に陥った時に有若に助言を求めた章であるが、
有若は徳治主義の根本にある『人民の保護の原理』を持ち出して、
増税よりも減税によって人民の生産力を養うことを勧めたのである。
この論語が江口氏の著書にも掲載されています。
そこには「君民は一体です」との訳が書かれています。
それはつまり、「君主と民」との信頼関係ということではないでしょうか。
翻って、今の政治は?「信頼」はいずこにぃ~???
「君民一体」なんて夢のまた夢。
なるほど、それが昔から行われてきた政治ということか、
だから論語では「それはいけません」と言うてるんやなあ。
でも現実は・・・><
で、「地域主権型道州制」(江口克彦氏著)になれば、
少なくとも、「君民」の距離は近くなります。
その分、「一体感」が今よりは可能に近づけられる・・・かも^^;
確かに、自分が住んでる大阪市でも首長との距離は遠い。
しかし、大阪市がもっと独自の施策ができるくらい、
権限と財源を持っていたら?話は変わります、きっと。
こういう発想から日本全体を眺めれば、
例えば関西州くらいの規模になれば、
今よりは「君民一体」に近づける、つまり民の声が届けやすくなる、
民の反応を感じ取りやすくなる、と思いあmすが、いかがでしょう。
何も、道州制が万能だと言ってるのではありません。
道州制になればなったで、今と変わらぬ問題も多々あるに違いない。
それでも、各州の存在が刺激にはなる、
「あの州頑張ってるから、うちも」にはなるでしょう。
自分の州の監査は他州がする、なんてことになれば、
下手なことはしにくくなる、と思うわけです。
ま、押並べて、今よりは・・・くらいは期待できる、期待したい。
昨日の報道ステーションで。
猪瀬東京都副知事がダボス会議の感想で、「都市国家」なる発言を
されてました。
大都市に人がどんどん集まる、それは環境にも大きな影響がある、
国家の動きが遅いならば、大都市が先行して対応していく、
ロスやロンドンなどでは実際に環境施策で国をリードしている、東京も・・・
てな話でした。
「都市国家」
現在の国家体制が変化していくということかもしれません。
そうなっていく流れならば、日本における道州制も、
必然のことなんだと思います。