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2008年5月 9日 (金)

仏教である。或いは仏教的である。

チベット問題が日本人に、仏教の身近さを再認識させたのでは?
と思いたい。

日本は「神の国」でもあろうが、同時、仏教の国でもある。
日常生活に深く入り込み、生きる知恵として接してきた。

時に「神頼み」をするけれども、
いわば、「神さん」は非現実的であり、「仏さん」は現実的な存在・・・
それを、今回のチベット問題が思い出させてくれた。
少なくとも僕はそうだ。

もちろん、チベット仏教やチベットの信者さんのような趣ではないけれど、
そういう意味で、とても緩やかで柔らかい関り方をしてきた日本人やけれど。

大学の後輩に住職がいる。
大学は龍谷大学・・・浄土真宗・・・で、後輩ももちろん真宗の住職だ。
親鸞は生誕800年ほど、彼の寺も同じくらいの歴史を持つ・・・らしい^^;

今年、彼と、まさに「ご縁」があり、「ご縁」が復活した。
先日は、彼のお寺でライブもさせていただいた。

お寺は「地域のコミュニティ」としての役割を持っていると思う。
その役割が衰退してきた。
僕はもっと寺に活躍して欲しいと思うけれど。

わけの解らぬ宗教もどきの団体に若者が集まる。
身近に、存在の明確な伝統仏教がある。
長い時間をかけて、伝統仏教は生活に寄り添えるようになった。
その分、エネルギーが減退・・・落ち着いてしもうたかな。

でも、今またその存在、意義、価値を再認識すべき時だと思う。
スピリチャルブームに流されず、揺さぶられず、
過去から未来へと繋がっていく中に自分があり、
それを感じて生きられるためにも。

迷いや惑いを一人で抱え、自分を潰していかないためにも。


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