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2009年7月29日 (水)

選挙の夏

中田横浜市長を・・・あ、もう元か?・・・の考えを支持します。
日本を良い国にしたいという考えと行動を支持します。

橋下徹知事も支持しています。
私は大阪府民ですから、よけいに気になります。

色んな考えがあります。
政治を行っていく上で、いろんな考え方、アプローチがあります。

有権者たる僕は、迷います。
自分の考え方に近い方がどこにいるのか、迷います。

その近さを何割程度にすればいいのか、迷います。
10割はない、8割なんてハードルも高そうだ、なら6割程度か?

にしても、それを判断するにはかなり勉強しなければなりません。
そんなん無理やし。

ならば、かなり曖昧に「大体」で判断するしかない。
しかし、その判断基準となるのは、やっぱり熱意です。

自分が暮らし、生きている日本が間違った方向に行かないように・・・
なんて、僕に判断できるわけはありません。

でも、僕なりには「おかしいよなあ」と思っています。
多くの人が「おかしい」と思っています。

そのおかしさは、単にお金の話だけではないはず。

僕が生きていく日本、僕に子供はいないけれど、
それでも子や孫が生きていく日本。

自分のことだけを考えていては、それこそ道を誤るでしょう。
肥大化したようにも見える、理解を誤った個人の権利が
跋扈するような世の中ではいけません。

中田宏氏も語る「国家」というものを、
正当に、改めて、ちゃんと捉えないといけないように思います。

敗戦後遺症から脱し、
「国家=悪」だけではなく、国家を個人がどうコントロールするのか。

よりよい社会を築いていくのかを考えるために、
個人にとっての国家、国家にとっての個人、を勉強しなければいけません。

個人は、国家をより所とせねば、それこそ基本的な権利さえ危うくなる、
それほどに弱い、と僕は思います。

個人が集団となって行動を起こすことさえ、命がけです。
中国を見ればよく解る。

ウイグルが、チベットが、明日の日本の姿ではないと
果たして言い切れるのか。

不安を感じ、心配しているだけではいけません。
自分の目で、未来を見据えていくような気概がなければ、
社会は国家は世界は、どんどん生きにくくなっていく。

そんなことを思う選挙の夏です。

2009年7月20日 (月)

海の日

NHK7時のニュースのエンディング。
予め撒かれたアサリを目指して
ダッシュする人々。
1万人が、その人口潮干狩りに参加。
そしてNHKは、
「夏休みの思い出ができました」としめた。

なんと欺瞞に満ちたコメント。
なんと嘘臭い思い出。
なんと浅はかな民衆。
おかしいやろ、ほんま。

これに違和感を感じないならば、
この国の人々は狂ってると思うしかない。

2009年7月19日 (日)

他人に期待すること

果たして私は政治家に何を期待するのでありましょうか。
また、ニュースキャスターには何を?
評論家には?
ミュージシャンには?
俳優、お笑い、芸術には?
友人、恋人、妻、家族、
会社、仕事、仕事先の人、ご近所、地域の人、行政、国家…


何を期待し、何を裏切られたと思うのでしょうか。
その期待は的を射た期待か?
それとも的外れか。
はたまた手前勝手なものか、まともなものか。

果たして我々は他人に何を期待し、望んでいるのでしょう?

2009年7月 7日 (火)

民主主義への単純な疑問

ねんきん定期便が来て、自分の納付状況や受取予想額が分った。
そういう意味では、これまで無頓着に年金を納めてきたけれど、
問題が起って良かったと思う。

それにかかった税金の金額は、これまで無頓着だった国民の「ツケ」と捉えれば、
仕方のないこと、か、当然の結果ということか。

それにしても政治とはいったい何なんやろう?と素朴に考える。
政治学の本を説明されても難しいが、
今、目の前にある「政治」とはどういうものなんやろう?と思う。

民主主義は果たして発達しているのか?
そもそも民主主義は、どういうことを理想として掲げているのか?

民主主義が発達しているのなら、大衆迎合政治とは?
人気取り政治とは?ワンフレーズ政治とは?

小学校の生徒会長は、人気者が当選していたな。
ならば、すでに40年前に「民主主義はある到達点に達していた」ということか。

それとも、現在の民衆が「小学生並に」に低下したということか。
そうかもしれない。

高度経済成長期以来、金に奔走してきた挙句、民衆のレベルは低下したのだろう。
情報量は圧倒的に増え、小理屈を並べるテクは上がっていたとしても。

敗戦後遺症の中にいる・・・と僕はマジでそう思うけれど。
誤解のないように言えば、僕は戦争反対で、大東亜戦争の失敗について、
外国への謝罪よりも何よりも、我が国の戦略ミスを検証し、合理的に反省すべきだと思うが、
結局、過去を清算せずに、事なかればかりを増幅させてきたとしか思えないが。

天皇に責任を負わせれば済むと考えている人達がいるのなら、
それはもう「とにかく関係者全員で謝罪会見」で事が済むと考えているような、
見ていて哀しくなるような光景を容認している人達のことだろう。
そんなことで済む話ではなく、きっちりと合理的に省みることが必要だと
簡単に理解できると思うのだが。

「誰かに責任」を負わせることは、お金の問題で政治家が秘書に責任を負わせ、
それで事が終ったかのように見せかける手法だ。

日本人は「責任」に対してかなりノスタルジックでセンチなんだろうな。

テレビや映画や伝記物で見てきた「責任をとる武士」の姿や政治家、指揮官の話を、
そのまま無自覚に受け入れてきたるのやろうな。

責任を取って辞めれば済む話ではない。
何が間違っていたのか、どうすれば間違いを最小限にとどめることができるのか、
それらの答えを出した上で辞めるなりすべきだろう。
それがないから結局、誰に責任があったのか分らず仕舞い。

さらに、何が原因だったのかも分らず仕舞いで、
常に目の前のことに右往左往する、行き当たりばったりになるしかない。

妙な民主主義が、最終的にリーダーなり、担当者に責任を負わせる仕組みで、
それを支え、或いは、従ってきた連中を匿名化する。
ずるい連中が大手を振る。それも、見えない状態で。

お前は、ステルス気分か!

そしてテレビは、弱者の告発を応援し、美化する。
弱者を弱者たらしめるのは、声を上げて目立った者に対して、
賛成するでもなく応援するでもなく、他人事のように見ているだけで、
最終的にその者に責任を負わせるための、無責任だと思うなあ。

選挙が来る。
今回はもう白紙投票しかないように思っている。
しかし白票は、有権者の意志とは見なされない。
そんなアホな、と思う。白票は意志である。

49対51といいう、僅かな差で物事が決まるのが民主主義ならば、
有効票4対6で、残り90が白票なら、どんな結論を出すというのだろう。

民主主義は発達したのか?
そもそも民主主義とはどういうものを理想としているのか?
そして、いつまでも盲目的に受け入れていてもいい制度なのか?


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