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2012年8月31日 (金)

新聞の見出しを考える

新聞の見出しには、それをつけた編集者か記者かの
「意図」なり「意思」なりが反映されている、と思います。

例えば、
「『橋下!辞めろ』怒号、
場外では山本太郎さんシュプレヒコール…震災がれき受け入れ説明会」

(8/31産経新聞)

内容は、岩手県宮古地区のがれき最大3万6千トンを受け入れのための
住民説明会で、こんなことがありました、てなことです。

「怒号」を上げた連中側のような見出しに思える。

『説明会には約440人が参加。妨害行動に備え、
会場内外に警察官らが配置され、入場前に手荷物検査も実施。
しかし、説明内容に不満を示して橋下市長に走り寄った男性が制止されたほか、
辞職を求めて「辞めろ」という掛け声が始まるなど会場は騒然とした』

のだそうです。
妨害行動て。こういうのも「権利」として認められてる?んなアホな。

賛成派VS反対派で、よく見られる光景ですが、
「これが当たり前」と麻痺して眺めていてはいかんように思うてます。

だって、彼らは「反対することに意義がある」という皆さんらしい^^;
らしい、てのが弱いなあ。実際に会うて取材してないとこうなるなあ^^;

それでもね、怒りや憎悪をエネルギーに、
やいやいやって、それはそれで「波及効果」があるからでしょうが、
テレビで時折みる、それらの連中の顔つきの醜いことよ。

声を上げる!デモをする!
自らの正しいと思うことを、行動によって示すにはそれなりに方法もありますが、
結局、「徒党を組む」しか、人数をパワーにするしかないなんて。

で、10万人デモが行われようが、それが「大多数の意見」ではありませんで、
100万人規模のデモが起こったら、これはかなりの大多数を反映してる、
と個人的には思うけれど、果たして、その実態は科学的に実証されるような
もんなんやろうか?

空気を作る、その空気にのる人達があつまる、それが大多数の意見のように
「大きな声」を発する・・・またやってるわ、と私は思う。

他にやり方ないんかい、と私は思う。
政治家の役割は、国民、市民の意見を反映させることだと思いますが、
そこがどんならんので、「よし!市民の出番だ!」か。

その手の連中は、「いざ!国民の出番だ!」とは言わない。
私は「大阪市民」で「日本国民」ですが、所在の知れない「市民」では
ありません。いろんなところに、「いろんな仕掛け」があるようで注意せな。

で、新聞見出し。

●がれき受け入れ説明会、騒然!

てな見出しではいかんのやろうか?弱いの??
「橋下」という名前がある方がキャッチーで興味をもたれやすいから?

「山本太郎さん、シュプレヒコール」も、よう分からん。

結論。有名人の名前を出すことで耳目を集めたい、
そんな意図が溢れた見出しだ、です。

瓦礫受け入れの是非を読者の投げかける「見識」はない、
「いえいえ、そんなことを目的とした記事ではないのですよ」
ということなら、「内容のない記事」らしく地味な見出しにせんかい!


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